東日本大震災復興支援委員会担当副会長 田村 綾子
2016年3月11日、東日本大震災の当日と同じ金曜日、みなさまはどのように過ごされますか。私は先週からどうしようかと思案しています。
2011年6月の和歌山県での全国大会・学術集会のことをご記憶の方もいらっしゃることでしょう。当日は、プログラムを一部変更して緊急企画を組み、参加者一同による「東日本大震災復興支援宣言『乗り越えよう!復興を信じて』」を発信しました。
そこでは、東北の痛みを日本全国の痛みとし、復興への道のりに寄り添うこと、精神障害のみならずさまざまな障害や高齢などによる困難を抱えた人々を孤立させないこと、そのために精神保健福祉士としての底力を持って支援にあたり、東北の仲間に想いを届けることを宣言しました。
振り返って、この5年間、何をしたでしょうか。
福島原発の避難区域から県外に逃れ、一度は本協会を退会した後に再入会された方や、被災市民の健康管理に奔走していたものの、心身ともに疲弊して退職された南相馬市の保健師さん、岩手・宮城・福島の各地に職と住居を移し、慣れない土地で支援に奮闘しておられる方々のことを想います。もちろん東北の市民として被災後の自らの暮らしを歩みつつ、精神保健福祉士としての実践を続けている仲間もあります。
3.11を前に、お一人おひとりのことを心に留めたいとの思いを新たにします。
先日、東北にゆかりの深い作家、井上ひさし氏が、入院中に妻のユリさんと交わした会話が紹介されていました(『文藝春秋』三月特別号p260~261)。
様々な人の闘病について「病気の進み方も痛み方もみんなそれぞれ違い、比べようもない」という夫人に、井上氏は「戦争や災害だと、たくさんの人が同じ死に方をしなきゃならないんだ。ひとりひとり違う死に方ができるというのは幸せなんだよ」と返したそうです。
東日本大震災では本当に多くの方が、看取られずに亡くなりました。さらに今、東北三県の復興住宅では、孤独死が増えつつあるとも聞きます。住まいや家族だけでなく地縁や血縁も失い、自らの存在をよく知る人の乏しい土地で独り死んでゆく方が増えている。「孤独死させてしまった」ことへの無念を覚える関係者の存在をも想像させられます。コミュニティの再生が求められています。ソーシャルワークを業とする私たちにできることはあるのでしょうか。
震災から丸5年を経過します。被災地の内外にいる精神保健福祉士として何をするのか、改めてご一緒に考えましょう。また、被災した人々と支援者の方々を想い、3月11日によせて祈りを捧げましょう。
現在の本協会の復興支援活動は、被災地の福祉事業所の販路拡大支援、『東北復興PSWにゅうす』の発行、復興支縁ツアーの企画実施、全国大会・学術集会での被災地事業所の製品販売などです。微力ながら、し得る何かをしたいとの思いをつなぐ取組みは、次年度以降も継続する予定です。ぜひ皆さまの関心を寄せ続けていただけることを願います。