9月1日復興支援本部会議に参加するため、前日の8月31日に仙台入りの予定。仙台⇔広島の飛行機が今は1日2便となっていてとてもありがたい。天候が危うくとにかく飛んでくれるよう祈りながら広島空港に向かった。この度は「この機会に石巻へ視察に行って来ないか?」というお話を賜っていたので、「とにかく飛んでくれんかのお…」と願った。空港カウンターでは2便欠航になっていたが、とにかく飛んでくれた。
仙台空港に降り立つと、「広島の酷暑を連れてきたか?」と思うほどに暑かった。レンタカーにて石巻、女川へ向かう。途中、今は女川で働いている友人に連絡。
「こんにちは。木村じゃあ。今、何してる?何処にいる?」と問うと、ご自宅で寝転んでいるとのこと、「ちょっとね、すまんがのぉ。顔見に行くけどええかぁ?」と言うと、「はぁ?広島からですか?」と友人。友人に会えた。そして、女川を少し案内してくれた。
住宅の建設現場を見ながら、友人は「人口の流出が多く。女川に帰ってくるという住民は40%余。深刻です。」と教えてくれた。鉄道の駅を移設する話も教えていただいたが、これにもいろいろと問題があるとのこと。二重三重にも複雑化していて、そして、「格差」が拍車をかけている様子だった。友人にもみじ饅頭を手渡し、石巻へ。
渡波、湊地区、南境を回る。湊地区はかなり長い時間を要した。とにかく2011年4月に回った箇所に車を止めてはブラリと歩く。人はいない。大きな避難所になっていた学校。小さな避難所であった集会所やその他。。。人はいない。人がいない箇所に行っているのだから、当然ではあるが、しかし、なんとも神妙な気持ちになる。瓦礫が山のように積まれていた場所もいつの間にか瓦礫はなくなっていた。持参していた線香をあげながら幾カ所で合掌している自分も、「なにしとるんじゃろか?」と不思議な気持ちだった。
約5時間の滞在。震災から2年半。パチンコ店の駐車場が満杯で賑わっている様子は2011年8月、10月、2012年3月の勢いを増しているようで、これが現実と、なんとも言えぬ気持になった。
門脇小学校近く | 湊小学校 | 湊中学校 |
東日本大震災復興支援本部長代行補佐 木村 雅昭