復興支援本部情報

 被災地と全国各地とが繋がる「支縁」のうねりを!
ほっとミーティングin大船渡に参加して

 3月19日、被災地を訪問して現地の精神保健福祉士の方々のお話を聴く「ほっとミーティング」を岩手県大船渡市で開催しました。当日は、気仙地区(大船渡市、陸前高田市、住田町)の8名の精神保健福祉士にご参加いただいたほか、岩手県精神保健福祉士会の会長、副会長にも遠路駆けつけていただきました。地域活動支援センター、病院、こころのケアセンターの立場から、それぞれの方々が震災後の体験や復興に向けた支援活動について語られました。皆さんの語り合いは場所を2回ほど変えて夜更けまで続きます。その場と時間を共有できたことに私はただただ感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 2年前の3月23日から25日にかけて、私は当時の東日本大震災対策本部員として被災地視察と災害支援活動の調整のため、廣江災害支援体制整備委員長と二人で福島県、宮城県、岩手県を訪問しました。最終日の3月25日、発災からちょうど2週間が経った日には、陸前高田市を訪問しています。今回のほっとミーティングでなによりも嬉しかったことは、そのときにお世話になった3人の精神保健福祉士と再会を果たせたことでした。

 お一人は、一関市から陸前高田市に向かう道中で携帯電話がようやくつながったAさんです。Aさんは、被災後休めない状況が続いていましたが、ようやく休みが取れて少し離れたご実家の片付けに来ていたところでした。せっかくのお休みにもかかわらず、同じ法人のBさんが避難所でのボランティア活動をしているということので、連絡を取って繋いでいただきました。

 地域活動支援センターに勤務されていたBさんとは、市内最大の避難所であった陸前高田市立第一中学校でお会いすることができました。健康関連の支援チームに割り当てられ、心のケアチームを含めた多くの県内外の支援チームの申し送りが錯綜する教室で聞いた話では、Bさんは同じ職場の臨床心理士の方と避難住民の話を聴いて回っているとのことでした。

 陸前高田市の高台にある精神科病院に勤務されるCさんとは、固定電話が不通の中、直接病院に訪問してお会いすることができました。ご自宅は海岸から3キロも離れていたにもかかわらず津波により床上浸水したものの、一度立ち寄っただけで、ずっと病院で寝泊まりしながら患者さんや一部避難所となった病院の避難住民のお世話にあたられていました。「病院のスタッフは全員無事だったが、すべての職員が家族や親せきまたは知り合いを津波で亡くしている」と話されていたことを強く憶えています。

 ほっとミーティングでは、お三方を含め参加された皆さんがお元気でいらしたことに心からほっとしました。一方で、狭い仮設住宅で家族と生活する精神障害の方たちの大変さなども聞かせていただき、あらためて復興に向けた遠い道のりを思うこととなりました。

 翌日は、語り部の方に陸前高田市内を案内していただきました。かつてそこに人びとの営みがあったことを示してくれるものはほとんど何も残っていませんでした。美しい砂浜や松林が消え、かつて駅であった場所はプラットホームが残っているだけでした。そんな中でも希望を失わずにいる語り部の方のお話は、私たちに大きな勇気を与えていただきました。

 私たちにできることはほんのわずかのことかも知れませんが、忘れずに続けていくこと、想いを聴きつながりを大切にしていくことに信念をもってこれからも臨んでいきたいと思います。

復興支援本部副本部長兼事務局長/公益社団法人日本精神保健福祉士協会常務理事 木太 直人


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