復興支援本部情報

 秋田県支部長からのメッセージ
伝える、つながる復興へ

 今年の秋田県は9月に入ってもまだ残暑が厳しく、真夏日となる日が多くなっています。気象台が1931(昭和6)年から統計を取り始めてから9月中の真夏日の日数が最も多い年と聞きます。この様な気象状況を異常気象と言うのだろうか。通年と比較して日により10°前後の温度差があります。道路沿いのススキは夕日を浴びて輝き見せ秋を感じさせる光景です。田んぼの稲もこの時期になると頭をたれ、稲刈りが始まります。実りの秋です。しかし、気温が30度を超える日々が続くと秋なのか、夏なのか季節感覚のバランスが崩れます。被災地でもこの暑さ、これから来る寒さとの戦い。生活環境も厳しいものと心を痛めます。

 (社)日本精神保健福祉士協会、東日本大震災復興支援Webリレーメッセージも青森県から秋田県にやってきました。2011(平成23)年3月11日の大震災以来1年半年が経過しました。原発事故により避難された方々もいつ帰宅できるのか、未だに見通しが立たない。巨大津波による家屋の被害で仮設住宅での暮らしが続いています。
 先日、岩手県陸前高田市の「奇跡の1本松」が9月12日、13日に伐採となりました。高田松原7万本もの松から1本だけ残った松。復興のシンボル的存在と地元で親しまれていると聞きます。親交の深い被災地出身の仲間が身近にいます。津波は家の目前まで来たが幸い被害を免れた。山側を見ると何も変わりない。海側を見ると何もない。震災前は、高齢者でも自転車で買い物に行くことが出来た。今は山間部を通らなくては行けないので出来ない。9月末も戻って一人ボランテアをすると話します。多くは語らないが生まれ育った被災地「ふるさと」への想いをひとこと一言からひしひしと感じます。

 東日本大震災復興支援本部での秋田県支部は、広域支援体制を構築する支部の位置付けです。秋田県は、1983(昭和58)年5月26日11時59分、秋田県沖の深さ14kmでM7.7の日本海中部地震がありました。秋田県内陸に位置する小学校から遠足に訪れていた児童の内13名が、また、観光で来ていたスイス人女性が、当時、日本海沿岸では、多くの方が津波の発生によって犠牲となっています。秋田県は、約264kmの海岸線を有し、沿岸地域では県民の半分を超える約58万人が暮らしています。
 東日本大震災による被災地の非日常的な厳しい現実をしっかりと受け止め、今一度、同じ沿岸部で暮らす人間として、復興支援本部の仲間として、何ができるのか、何ができているのか考えながら秋田県支部、秋田県協会では、未曾有の大震災を風化させず、被災地の一日も早い復興に想いを寄せ、「伝える」そして「つながる」ために、今、出来る復興支援を被災地への想いを持ち、支援者支援を意欲的に取り組める環境作りを同じ東北の仲間として取り組ます。

 現在、他県から秋田県に避難している世帯は、543世帯1,346人(秋田県東日本大震災関連情報より)です。秋田県内各行政機関は、災害廃棄物の受け入れを実施し、秋田市は、岩手県野田村の災害廃棄物の広域処理を9月4日から始まっています。2011(平成23)年3月11日のあの日、あの時を忘れずに秋田県支部、秋田県協会の仲間がいます。仲間を代表して、改めて、犠牲となられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された方々に、衷心よりお見舞いを申し上げます。

社団法人 日本精神保健福祉士協会 秋田県支部長 加藤 雅史


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