機関誌「精神保健福祉」

通巻97号 Vol.45 No.1(2014年3月25日発行)


目次

巻頭言  懸命に力振り絞る仲間と共に/小関 清之

特集 東日本大震災から3年.精神保健福祉士は何ができたか、そしてこれから何をなすべきか

〔資料〕
東日本大震災の記録/小田 敏雄

〔総説〕
災害と精神保健福祉士/廣江  仁
被災地で支援を受けた精神保健福祉士が自問自答していること/氏家 靖浩

〔報告〕
現地のPSWからの報告
 その時、被災地内陸部の病院では…/姉歯 純子
 東日本大震災時の被害と対策.地震・津波・原発事故・風評被害の中で/鈴木惠利子
 千葉県旭市における震災支援/矢島 雅子
 アミーゴ荘の被災から復旧まで.施設長、精神保健福祉士の視点から/小林  誠
 コラム(1)“あの時”を振り返って/門脇裕美子

PSW協会初動支援の報告
 東日本大震災における日本精神保健福祉士協会の初期対応/木太 直人
 コラム(2)PSWとして何ができたか、何ができなかったか−支援を受けた立場から「こころのケアの専門家は誰?」/佐藤 由理

PSW協会派遣支援者からの報告
PSWのバトンをつないだ一人として/相川 章子
コラム(3)「感謝」−あの時、来てくれていた精神保健福祉士Hさん、Tさん、そして緊急時避難準備区域に継続して支援をしてくださった多くのPSWの皆様へ/大石万里子
支援報告−南相馬にて−/小林 辰雄

外部から移り住んだ支援者からの報告
こころのケアの「種まき」を続けるということ/伊藤亜希子
東日本大震災後の宮城県での活動報告.つながりの重要性/藤嶋 美世 かけがえのない「今」を共に生きる/安藤 純子
コラム(4)原発に一番近い避難所.医療をつなぐ、思いをつなぐ、未来へつなぐ/高田 明美

〔座談会〕精神保健福祉士は何ができたか、そしてこれから何をなすべきか
加藤 優妃・木村 文彦・鶴 幸一郎・福井 康江・松田聡一 コーディネーター・渡部 裕一/カメラ・安部 玲子

誌上スーパービジョン
本当の意味で「その人らしい生活を支援する」ということはどういうことなのか/スーパーバイザー 柏木  昭

トピックス
改正精神保健福祉法施行のための省令および通知等=大塚 淳子

研究ノート
医療観察法病棟における就労準備性評価プログラムの試み/狩野 俊介

情報ファイル
日本アルコール関連問題ソーシャルワーカー(ASW)協会第28回全国研究大会−トラウマとアディクション−ASWが果たす役割を考える−報告=高橋 陽介
日本福祉教育・ボランティア学習学会 第19回いしかわ大会=岡田 隆志
第5回ACT全国研修会2013浜松大会=鶴 幸一郎
第21回日本精神障害者リハビリテーション学会沖縄大会=玉城 恭子

リレーエッセイ/科学的根拠に基づくソーシャルワーク実践/野村 祥平 連載
実践現場からのつぶやきコーナー「P子の部屋」 ・協会の動き/坪松 真吾
・この1冊/平川 聖子・伊藤 千尋
・投稿規定
・協会の行事予定、想いをつなぐ.災害とソーシャルワーク(8) ・2014年開催 精神保健福祉関連学会・研究会一覧


巻頭言

懸命に力振り絞る仲間と共に

復興支援本部長代行 小関 清之

 東日本大震災直後の3月下旬、寒さ厳しい石巻に入った。立ち込める粉塵や腐敗臭のなか、堆い瓦礫の間を縫って避難所を巡った風景は、住民の語る一言一言とともに、鮮明に記憶している。5カ月後の夏、色づく桃がたわわに実る飯舘の桃畑からは、人の息づかいは消えていた。陸前高田、大船渡には、2年を経過した後も津波に洗い流された荒野が広がっていた。閉ざされた駅から続く小高の街並みには雑草が生い茂り、松川浦に続く田畑には、家屋の残骸もそのままに「透明な残酷」が2年半の時の流れを止めさせていた。

 発災翌日からの災害対策本部、引き続きの復興支援本部に参画する私は、現地の仲間をこそ訪ねたいと考えた。自身も被災し家族を津波で奪われながらもその地にとどまり、より苛酷な状況に曝されている精神障害者のためにかかわり続ける仲間たちの「実践」に寄り添いたい、言葉を失う状況の只中にある彼らの「語り」に耳傾けたいと考えた。そしてそれはまた、かつてない未曾有の災厄に見舞われた彼らと私との間には、雲泥万里の差があることを思い知らされることでもあったが、これからも訪ね続けたいと思っている。

 月日の経過とともに現地課題は凝縮され深刻化している。原発事故は人びとから人生の基盤ともいうべき「故郷」を奪った。見知らぬ地への避難を余儀なくされた人たちは、いつ帰れるかの目処も立たないままに流浪の民と化している。「放射能がうつる」と苛められる子どもたち、賑わう大都会のテーマパークの駐車場で福島ナンバーのクルマだけが遠巻きにされる等の、福島が「フクシマ」とされる広島・長崎・チェルノブイリと並ぶ「負のスティグマ」が生じている。

 私たちは、精神医学ソーシャルワーカーと称した時代から、国策として蔑(さげす) まれ疎まれ忘れられた人たちの人権擁護のために、身を挺して支援してきた50有余年の歴史を持つ。この矜持に拠って立つとするならば、今のこの事態を見過ごしにはできない。

 被災地で暮らす一人ひとりへの個別性に配慮した暮らしの支援を検証することを核に、これまでに築き上げてきた日常実践との連続性をも包含して、さらには如何なる災害時にも通用する普遍的な「支援者支援」の態勢構築のための学術的な整理にも努めなければならない。

 傷ついた地にあって未来を見通すためには、耐え忍んでばかりはいられない。長い道のりの中、そこに暮らす人たちの傍らに在り続け、仲間と共に実践を語り継ぎ、希望へと架け渡される知恵を焙り出していかなければならない。

特集 東日本大震災から3年−精神保健福祉士は何ができたか、そしてこれから何をなすべきか

 阪神・淡路大震災を契機に、日本精神保健福祉士協会(当時・日本精神医学ソーシャル・ワーカー協会)は、災害に対するさまざまな取り組みを行ってきた。各地の災害での支援活動の経験を積み重ね、いまや災害支援は精神保健福祉士が取り組むべき課題として広く認識されてきている。

 東日本大震災は、そういった精神保健福祉士としての備えがまさに試される機会となった。当協会も多くの会員を現地に派遣し、心のケアチームや自治体の支援活動に協力した。日々、手探りで支援活動を続ける現地担当者にとって、さまざまな支援経験を持つ精神保健福祉士からの助言は非常に役立つものだった。しかし一方で、支援者としての想いが先行し、現地担当者との間に齟齬が生じるなどの問題も散見された。外部の支援者からは被災地から持ち帰った感情の整理に時間を要したとする声があった。被災地の精神保健福祉士からは本来業務が多忙で支援活動にかかわれず、そのことに後ろめたさを感じているという声が聞かれた。被災地にはいくつかの課題と、特有の無力感、不全感が広く蔓延していたように思う。

 この災害においては、精神保健福祉士の役割が一定の評価を得るとともに、今後に向けいくつかの課題も明確となった。果たして私たちは何をし得て、何をし得なかったのか。災害支援における教訓の積み重ねが、東日本大震災の支援活動に大いに役立てられたように、このたびの甚大な被害と引換えに得られた教訓は、必ずや今後の災害支援に生かされなくてはならない。

 震災から3年。今号の特集では外部からの支援者だけでなく、現地で奮闘された支援者など、さまざまな立場で支援活動に従事してきた方々の軌跡をたどり、その成果と今後私たちが取り組むべき課題の抽出を試みたい。ここに寄せられた数々の実践報告にこそ、代え難い貴重な教訓は凝縮されているはずである。

(編集委員:渡部 裕一)


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