<2021/02/26>
本協会HPに掲載されている新生存権裁判の記事にある北海道での動きから刺激を受け、静岡県でも同じようなアクションができるのではないかと考え「いのちのとりで裁判全国アクション」のHPをたどり弁護士事務所へつながり、裁判を傍聴してまいりました。
裁判自体は事務的に進められ、何をしているのかほとんどわからなかったですが、裁判終了後に開催される原告団のミーティングに参加したことで、当日の裁判の内容やこれまでの経過について知ることができました。その中で静岡県内では2つの訴訟が行われていることが解り、支援者間では第1次訴訟、第2次訴と呼ばれいます。私たちが傍聴したのは、2020年10月2日の第2次訴訟、12月17日の第1次訴訟、2021年1月29日の第2次訴訟の計3回になります。
次回は2月25日の第1次訴訟となり、今後も継続して参加してまいりたいと思います。
公益社団法人日本精神保健福祉士協会
副会長 水野 拓二
<小山 隆太(精神保健福祉士12年目)>私自身が裁判の傍聴は初めてであり、傍聴までの手順も知らず、足を運んで初めて知ることが幾つかあった。当日は後輩を連れ、静岡地裁へ。傍聴希望者は少ないと考えていたが、40名弱の人が最終的には来所。裁判は20分程のものであった。全体的な輪郭が分からず、傍聴していた人に声をかけ、教えを乞うと、声をかけた人が静岡県の原告支援者の主なる人であった。その方の誘いで裁判の報告会に参加させてもらうことになった。 裁判の争点において静岡県ではさらに、福祉事務所長に対して生活保護法第25条の遵守も争点としていると聞く。生活保護法第25条は実施機関が保護の変更を必要とする際に、福祉事務所長は被保護者の生活実態を調査し、職権をもって決定するという内容。本公判の中で被告代理人は「(変更に伴う)被保護者の生活実態の調査はしていない」という答弁であった。10月からさらに保護基準は引き下がる。数百円、数千円の変更に私たちも、実態を把握できているのか。「ともに」という言葉を口にしながら、どこか一線を引いていたことに気が付く。気が付くだけでなく、引き続き傍聴を通して学びながら、行動に移すことを続けていく。 1月29日の裁判は新型コロナウイルス感染症の対策のために口頭弁論は行われず、傍聴は叶わなかった。 |
<綾部 友太(精神保健福祉士1年目 )>10月2日の裁判の傍聴後、原告側/全国生活と健康を守る会連合会(全生連)の振り返りの会に参加して、当事者の声、応援者の声を生で聞いた。彼らにとって「生活を守る事」は自分たちの「命を守ること」に直結する。彼らの動きの源は「怒り」だと心身で感じた。私たちPSWは利用できる制度として「生活保護」を患者や利用者に伝えることが多い。繋げるところまでは支援しても、その後どのような暮らしを送っているのかまでは知らない人も多いのではないだろうか。「生活保護」を受けて暮らしている人々の声をきき、その声に対してPSWはどのような動きができるのだろうか。裁判の傍聴、その後の振り返り会の参加は多くの刺激を得られた。 1月29日の裁判はコロナ禍の影響もあり、裁判への傍聴は出来ず。裁判そのものが、原告・被告・弁護士・裁判官の4者のみの少人数で行われた。しかし、その後の報告会は通常通り行われたが、以前よりは人数も少なく、熱量も低下したような印象を受けた。しかし、報告会で交わされた意見の中には受給者達の生の声があり、刺激を受けるものが多くあった。その中でも「食生活」についての意見は考えさせられるものがあった。 健康で文化的な最低限度の生活を送るためには、食生活は重要な生活の一つ。しかし、生活費を節制する中で第一に考えられる費用は多くの場合「食費」になるだろう。実際に今回参加した方の意見にも、食費についての話があげられている。どうしても食費を安く済ませようとすると、食の質は低下してしまう。その生活は決して「健康」に繋がるとは考えられず、むしろ不健康に近づける要因の一つになるのではないか。現在の生活保護の受給金額では、文化的な経験を積もうにも食費を削らざるを得ず、食を充実させようにも他の費用を削らざるを得ない状況にあり、「健康で文化的な生活」を送ることは現実的に厳しいことが生活実態を聞くことで理解できた。 この現状に対して私に何ができるのか、何をしなければならないのか、今できることは何なのかを考え行動に移していきたいと思いました 。 |
<山口 雅弘(精神保健福祉士23年目)>今回初めて裁判を傍聴し、裁判終了後に原告団のミーティングにも参加させてもらうことができました。裁判自体は傍聴しても経過がわかりにくかったのですが、終了後のミーティングで説明を受けると「なるほど」と勉強になることばかりでした。今回は、主にミーティングへの参加を通して感じたことをご報告します。1)「傍聴する」ことの意味 2)「自助」「生きる権利」について 3)“社会の不条理”を目の前にして 昨年改訂されたソーシャルワーカーの倫理綱領の中で、私たちソーシャルワーカーが対象とするのは「(サービス等の)利用者」ではなく「クライエント(支援を必要としている多様な人)」であり、私たちは「人々がつながりを実感できる社会への変革と社会的包摂の実現を目指す専門職であり、多様な人々や組織と協働する」と謳われています。 今回の原告団の方は「高齢者」「障害者」といった、何らかの「支援対象者としてのカテゴリー」に含まれている方たち、というわけではありません。ただ、そこに不条理を抱える社会があり、その不条理に立ち向かおうとする人たち(クライエント)がいる、という現実がそこにあることを実感しました。そうした社会、クライエントにかかわり、社会変革と社会的包摂の実現にむけ、多様な人々と共にあろうとするのが私たちソーシャルワーカーではないか、と改めて感じました。 「生きる権利」を共に考える仲間として、また同じ地域に暮らす一市民として、「小さなソーシャルアクション」をこれからも続けていきたいと思います。 |