<2018/09/10>
16時過ぎに東広島市に向かう。東広島呉自動車道を走っていて一面に見える山々には無数の山崩れの跡。
東広島市のホテルに到着後、広島県支部の大下事務局長に被害の大きかった黒瀬地区と安浦地区を案内していただく。黒瀬地区には広島国際大学があり、裏山が大きく崩れキャンパスぎりぎりまで土砂が迫っていた。巨大なコンクリートの塊が道路に横たわっているまま。その後、安浦地区へ。ここはダムの水量が増して放水したことで浸水被害が広がった地区。安浦の避難所には大下さんがDPATとして一度入ったとのこと。
途中の道路はあちこちで土砂や流木が溜まっており非日常的な風景。
11時過ぎ賀茂病院出発。
向井支部長の案内で三原市本郷地区を視察。三原では最も被害が大きかったところ。
スーパーマーケットがすべて浸水したり、中核病院の本郷中央病院が一時機能停止に陥ったり。向井さんもDPATとして避難所となっている本郷生涯学習センターに二度ほど入ったとのこと。
12時頃、向井支部長と別れ、三原から山陽自動車道に乗り倉敷へ。
14時に岡山県支部長の河合さんと合流。河合さんの案内で総社市の浸水地域を回る。
途中、総社市下原のアルミ工場の爆発事故があった地域は、爆風で屋根瓦が壊れブルーシートを覆っている家が転々としていたり、500メートル離れた住宅でも窓ガラスが割れていたり。
通常のルートは渋滞しているとのことで、迂回して倉敷市真備町に移動。真備町にある「まきび病院」にお邪魔する。本協会の構成員とお会いできた。病院自体は高台にあったため浸水を免れたものの、100名程度いる職員のうち21人の自宅が浸水被害を受け、自宅の片付けのため休んでいるとこのこと。県内の精神科病院が応援で職員を派遣してくれているが、入院患者さんにとってはなじみのない人のためか落ち着かない感じであると。PSWも4名中3名が被災し休んでいるため、被災を免れた1人で通常業務と外部支援者への対応を行っている。
真備町にあった精神障害者の支援事業所のNPO岡山マインド「こころ」は、グループホームと就B(?)でビール醸造・販売をしていたが、いずれも被災。
真備町の中心街を通る。東日本大震災のときの津波被害地域を回ったときの風景がフラッシュバックしたような、デジャブのような。
移動して倉敷保健所へ。構成員の精神保健福祉相談員にご対応いただいた。現在避難所は真備町内は3箇所だけ。確保できないため水島地区や総社市に避難所を設置している。避難所は、日中は家の片付けに出かけるため高齢者や障害者だけが残っている。
相談員は豪雨の後は1日休んだのみ。「2週間たったところだけど、もう1ヶ月以上過ぎた感じ」と。真備町内の精神障害の人たちは、車も流されているので通院もできない。
これから住民の健康調査に入るところ、と。保健所には神戸市の保健師チームが入って、かつての経験からさまざまなコンサルテーションをしてくれており助かっている。
そろそろ処方薬が切れる時期で、不安になっている患者さんが増えている。精神障害の人たちは、これから住宅探しや被災にまつわる様々な手続き等で丁寧なケースワークが必要になってくるが、それを担える人がいない。長期で支援に入ってくれる人がいればよいが、と。
・大洲市
大洲市は店舗が集中している市街地が広く浸水した地域。NPO法人スタートの地域活動支援センターかみやまに訪問。「かみやま」は住宅街の中にある地域活動支援センター。元々水が出やすい地域だったので、地活も少し嵩上げして建てていたが、川の氾濫で1階の2メートル30センチまで浸水。浸水後、すぐに島内さんらの呼びかけで愛媛県精神保健福祉士協会の会員が片付けや清掃の応援に2日ほど入ったとのこと。
「かみやま」には構成員がお二人勤務。お一人は自身も自宅アパートが胸のあたりまで浸水し、現在は隣町の内子町のアパートを借りている。浸水当時、近所の人から車は高台に上げたほうが良いと言われ、その通りにしたため車は無事だった。利用者の駐車場は現在近所の廃棄物で埋まっており使えない状況。建物も改修が必要だが業者が対応に追われ9月中旬までかかる予定で2か月以上地活の運営ができない。
・宇和島市吉田町
ここは西予市と宇和島を結ぶ幹線道路が土砂崩れで不通となっていたところ(現在は通行可能)鉄道も線路がダメになり不通状態。一帯の斜面はみかん畑になっているが被害は相当なものになるとのこと。
午後17時頃松山駅に戻りレンタカーを返却、飛行機にて帰路につく。