<2007/08/28>
新潟県精神保健福祉士協会では、会員の皆さんにより、被災地の障害者世帯等の後片付け等、生活全般を通した支援活動等に取り組むこととなり、8月11日(土)、12日(日)の2日間、支援活動等に取り組む会員を対象にした事前前研修会が開催されました。
以下、新潟県支部の岡部支部長からお送りいただいた報告書を掲載(一部別掲)いたしますので、是非ともご一読ください。
新潟県精神保健福祉士協会主催の被災地支援事前研修会
報 告 書
1.今までの経緯
2.障害者相談支援センターの支援に入った会員がどのような活動に携わったか?
⇒上記1及び2については「現地情報(第10報)」参照
下越会場 概略
日時 | 平成19年8月12日(日) 10:00〜12:00 |
会場 | 南浜病院 |
参加人数 | 28人(会員22人、非会員6人) |
担当者 | 吉川牧子(南浜病院)、小松志保子(佐潟荘) |
内容 | ■現地レポート@(有田病院 片野PSWより) 新発田インターより高速で被災地へ。50キロ制限や道路が隆起した箇所があったが、比較的スムーズに目的地に着いた。街中の様子は、家が損壊しているという感じを受けなかったが、急に全壊の家が出現。1階がガレージの家がダメージを受けている。巡回していると問題出現してくる。出てくるニーズに対しての対応や継続見守りが必要。危険に対しては、感覚が麻痺している、(ex.前面は全壊、崩れていない部分で生活している等々)危険が日常化している状態。また、仮設住宅に移ることに関してほっとする反面新しい環境に適応できるかどうか不安を訴える人もいた。今後非常時の対応だけでなく、通常業務も復活させていく(ex.竹の伐採に行き、支援センター利用者とそうめん流しをする)。 |
■現地レポートA(国際医療福祉カレッジ 酒井先生より) 阪神・淡路大震災の時は、対話ボランティアとして現地に赴く。中越地震のときは、支援者として、被災者として、両方の立場だった。 中越沖地震は3回現地に入る。 1)震災後3日目、学生・職員の安否確認。建物は立っているが見た目よりひどい印象を受けた。特に水の少なさに驚いた。 2)社会福祉協議会の協会員として学生ボランティアと一緒に。「何かできることはありませんか?」と問いながら巡回。NOと言われてここで何をするかが、ワーカーの力量。 3)全国のPSW協会と県協会がどのように連携していくか、模索するため現地に入る。前回の2回に比べて活気づいている感じがした。また和島地区からPSWに出動要請があった。PSWが認知されたと身震いした。ストレス・うつに対する過敏性を他職種よりも持っているため活躍が期待されている。社会貢献していく必要がある。コミュニケーション技術・訪問技術を活用し、表面的な話ではなく、本人のニーズに気づくことが大事である。とにかく現地に行ったら、指示通りに動くこと。自分の始末は自分で行うこと。被災者は中越地震・中越沖地震とダブル被害を受けている方もいる。ようやく建て直した家が崩壊し呆然としている。ライフラインが復活してくると、復興の格差を実感として感じる。隣の家の復旧が進むとうつになることもある。また、暑さからくる疲労、身体化してくることもある。語ることによって回復していく。いかに傾聴していけるかが大切。初めて会った人からの支援わずらわしいと感じる人もいる。共感・肯定してほしい、状況を推測してほしい、欲してないことをして欲しくない、と思っている。嫌われる話の聞き方は→話を長く聞かない・自分の話のみをする・話をさえぎる・自分の価値観を押し付ける・相手の欠点を指摘していく等々。立ち上がる力は皆持っている。そこを支援していく。 |
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■講義「震災支援〜こころのケアについて〜」(講師:福原真紀先生/兵庫県こころのケアセンター) 阪神淡路大震災発生後、メンタルケア等色々な言葉が広がった。狭義の精神保健活動として、精神科医療の確保が重要。薬を取りに行けない・近くの病院に入院できない等の現場の声より、県としてシステム作りが必要となった。また広義の精神保健活動として、一時的にストレスを抱えた方対する支援や一般住民に対する啓発が必要となる。災害後、PTSDという言葉だけクローズアップされた感があったが、うつやアルコール依存になるケースもむしろ多かった。こころのケアの基本は目の前のニーズにいかに柔軟に対応できるかということ。その人が病的かどうか判断するのではなく、その人が失ったもの・その重みを感じる作業。訪問は相手のテリトリーに入るということを自覚する。医療提供だけではダメである。目の前のニーズに対して自分ができる事を考える。当事者が語ることの意味を考える。語ることは浄化になる。話したがらない人への対応は→語ることが良いというメッセージを伝える。そういう気持ちになったらいつでも聞きますと電話番号等置いてくる。言ってはいけない事は→まだまし・頑張って・前向きに・お元気そう等々。今の気持ちに寄り添う言葉掛けをする。眠れないという訴えに対し、本当にこの環境で眠れるのか、一般の感覚を忘れてはだめである。チームで訪問する場合チーム力のアセスメントは大事。訪問看護師がいる場合はチーム力がアップする。PSWの役割は、調整機能。チーム医療のメンバー間の調整をしたり、住民・関係機関との調整をする。震災後1ヶ月、ニュース・新聞記事等には道路が開通した・電車が通った等よくなってきていることしか記事にならない。世間の関心がなくなってくる。ハード面が解決すると、個人の問題まで解決していると思ってしまうが、現実的な問題に直面し、将来の不安が出てくる時期。更なる支援が必要となる。とかく外から入ると、色々気がつく点があるが、改善点を次々と指摘することは受け入れ側が困る。地域のスタッフを尊重することが大切である。また支援する側もショックを受けている。気持ちを吐露し、セルフケアをしていく事が大切である。 (質問)被災した人が精神の医療チームに求めるものは? 一般の医療チームと合同で活動できるとよい。こころのケアと聞くとまだ偏見がある。単独で動かないほうが良い。小さい地区の場合保健師が全て把握している。そこから情報を得れば効率的である。 |
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所感 | ケア活動は「精神科医療の確保(狭義)」と「急性ストレス反応への対応(広義)」の2本立てであること。ケアの基本は「耳を傾けること」そして「目の前のニーズにいかに柔軟に対応できるか」ということであり、それは必ずしも専門的なサポートではないということでした。そして受け入れ側として困ったこと、してはいけないこと、注意すること、被災者として嫌だったことなどについてもお話いただきました。 30度を超える暑さのなか、22人の会員、6人の非会員の参加があり、関心の高さが窺えました。 |
中越会場 概略
日時 | 平成19年8月11日(土) 10:00〜12:00 |
会場 | 新潟県立精神医療センター 大会議室 |
参加人数 | 20人(会員19人、非会員1人) |
担当者 | 矢野基彦・高橋朝美(新潟県立精神医療センター)、細谷 瞳(柏崎厚生病院) |
内容 | 10:00 開会 10:05〜11:05 講義(中越こころのケアセンター臨床心理士 原田由美子さん) 11:05〜11:15 休憩 11:15〜11:45 現地リポート(県立精神医療センター 原沢節子さん) 11:45〜12:00 理事より県協会のこれまでの活動と今後の動きについて説明 質疑応答 (越路ハイム 後藤さん・県立精神医療センター 矢野さん) |
所感 | 中越こころのケアセンター原田さんから、災害後の「こころ」についてや面接に際しての注意事項等をご講義いただいた。具体的な場面を想定して、出席者も参加しながら進められた。県立精神医療センター原沢さんからは、現地リポートとして、写真を交えながら現地の様子やケアチームの活動をご報告いただいた。 急な案内での研修会だったが17名の参加があり、関心の高さが伺われた。また、被災地柏崎市からの参加もあった。混乱した中であったために情報が行き届いておらず、実際にどのような動きをするのか?いつからいつまで活動するのか?などの具体的な情報を得るために参加している方が多かった。わかりやすく説明できるような配慮が必要であったと思われる。 |
上越会場 概略
日時 | 平成19年8月12日(日) 10:00〜12:00 |
会場 | 上越総合福祉センター |
参加人数 | 14人 |
担当者 | 内藤正樹(地域生活支援センター・つくしセンター)、中村 淳(夕映えの郷地域生活支援センター)、藤井 稔(高田西城病院) |
内容 | 1.新潟県PSW協会としてのこれまでの経過と今後の動きの報告 夕映えの郷 中村 淳 |
2.被災地現地リポート 夕映えの郷 中村 淳(別紙参照) |
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3. 震災被災地支援における精神保健福祉士の役割 (講師)東京福祉大学教授 佐藤三四郎 ○ささやかな体験から ⇒阪神淡路大震災 ・当時埼玉県ケアチームは2回の支援に入った。 ・一般医療チーム(救命救急)が優先とされ、どちらかというと精神医療チームは影を潜め、一般チームと一緒に動いていた。 ・医師や看護師、PSWは地域を歩いて保健所と連絡を取り合い活動する。 ・セイトク小学校周辺の家屋は潰れ、周辺地域の亡くなった人の家の前には一輪挿しが置かれている(花の数だけ亡くなった人数がわかる)。衝撃的な光景。 ・PSWボランティアもたくさん派遣されたが言葉や文化も全く違うところから来た人間が現地で相談支援ができるのか危惧された。しかし保健所相談員のバーンアウトを防ぐためそのサポート派遣を受けた。 ・精神保健福祉センターがニュースを発行し、PSW協会としてはとても役に立った。 ・神戸の場合は診療所(クリニック)中心なために障害者被災者が点在し把握に困難を要した。 ⇒中越大震災 ・早い時期に一般医療と精神科医療とが連携がとれていた。 ・川口町が一番状況把握が遅れているという状況という報告を受け出向いた。 ・身体的訴えをされる人が多く地域を巡回した。 ・県立小出病院の予約リストを元に誰がいつ薬が無くなるのか等の把握をし、それぞれの地区保健師たちが薬を配った。 ⇒新潟と神戸の違い ・神戸の時は精神科医療チームということを前面に出せなかったが、新潟のときは「眠れない人が周囲にいたら診療所へ行くことを勧めてください」等といったあたりで、「心のケア」が前面にオープンにすることができた。 ・新潟の人間は我慢強く自ら困ったということを言う人が少なかった。 ・道路ですれ違う人に心のケアチームであることを伝え話を聴いたりしていくうちに感情表出をされることもあって「辛いことを表出することも大切なこと」を伝えていった。そういう意味では心のケアを広く考えると、一般住民の人への心のケアを行うことも必要である。例えば避難所にいる子供たちへのグループ活動等。 ○自然災害と精神保健福祉士 ⇒被災後も含めた長い目で見る個々のケア ・現地スタッフの燃え尽きを防ぐこと。関係職員の自殺も少なくない。 ・「何故自分だけが生き残ってしまったのか。これからどうしていったら良いのか・・」心の傷はなかなか癒されないという意味で長期的なセルフヘルプも重要である。 ・心の中に残るものはどうしても残ってしまう。すぐに辛いことを辛いと言えることが大切。我慢して現実をシャットアウトすることで心のバランスを保つことではなく、どこかで言語化していかないと心の苦しみは癒えない。 ・初期の段階での適切な対応の重要性。辛さ苦しさ等を語れる場が必要ということを念頭においておく。 ・日常的に行っていなければ、非常時に対応はできない。すなわち関わりの本質,基本は緊急性やその量の違いだけであって、問題そのものは変わらないのである。 ・コミュニティの回復の力の必要性。地区リーダー(班長等)避難民の情報を収集していくことでより身近に連携をとることができる。毎日会うたびに挨拶をして顔なじみに・・・。 ⇒日常のソーシャルワークと変わらないということ ・今起きている問題をその場で即対処していくが大事。 ・記録として責任者へあげること。(責任者が集約) ・現地の司令塔(体制)が重要で、情報の集約やデータベース化は外部支援者に求められる作業である。 ○参加者からの感想 ・案外被災者は元気だった。 ・一般患者の急性ストレス障害的な方への対応をどうしたら良いか。 ・自立支援法になって県より指定相談支援事業所に派遣依頼があり動いた。実質的に精神に特化してしまっており、本拠地は他障害等と一緒に構えて動いた方が効果的効率的なのではないか。 ・県相談支援事業所とPSW協会とが動きとして一本化した方が良いのでは。またこころのケアチームも・・・。 ・被災地では貧富の差を感じた。 ・高齢者分野も含めた地域を巻き込んだ支援が必要だと思う。 ・情報整理や連携が上手く取れないこともあって、二重三重にも無駄な動きをしてしまった。 ・感情表出の大切さと、「日常的なことが非常時に生かされる」言葉の重要性を感じた。 |