<2006/10/23>
小松さんのご逝去(2006[平成18]年9月24日、享年78歳)を悼み、この文章をもっていささかの哀悼の意を込めて構成員およびその周辺の方々へご報告することとする。小松さんと呼ばせていただく。同じケースワーク論の研究者として、親近感をこめての呼称である。お許し願いたい。小松さんは職場の先輩でもある。私は1955(昭和30)年、国立精神衛生研究所に厚生省の研究職として就職した。小松さんは既に辞任されていたが、私の前任者として活躍された。私は二重三重のつながりで友誼をいただいた者である。
言わずもがな旧日本精神医学ソーシャル・ワーカー協会(以下、PSW協会)の創設に深く関わってくださった方でもある。また本協会の40年史を紐どくと、Y問題の意義を求めてその深化に全面的に自己投入をしようとしたPSW協会の当時の理事長として、小松さんは指導的な役割を果たしていただいた。1975(昭和50)年からである。不幸にも翌年のPSW第12回全国大会はY問題の継承性をめぐって収拾がつかず、中止のやむなきに至った。Y問題を教訓としてそれぞれの地域でこれを取り上げ、協会員の間で共有することを協会運営の基本方針として、論議の継承を堅持すべきであるというのが執行部を中心とした論調であった。それに対して、患者さんを始めとするクライエントの人権擁護を主張することが何の資格もなしに雇用されている身分の地位を危うくするのではないかといった不安や、こうした議論を延々と続けることの不毛を嘆く会員も少なくなく、執行部との間で、少なからず軋轢があったことは確かである。大会中止のマイナスは小さくなかったが、この不幸な経験は次のステップへの飛躍を約束する契機ともなった。小松さんの指導性である。惜しむべし、1977(昭和52)年辞任され、後事を谷中輝雄氏に託すことになった。
しかしその後、中央精神衛生審議会委員として、やがて陽の目を見ることになるPSW国家資格実現のために大きな役割を果たしていただいたことは周知の事実である。今日の協会の隆盛は小松さんに負うところ極めて大であったことを今にしてつくづく思うのである。
また小松さんは本当の意味での学究であった。その勉強家ぶりは実に最後の任地である聖隷クリストファー大学に至るまで続けられた。吾人の遠く及ばぬ力量と叡智を傾けて、ひたむきな努力を命枯れるまでお続けになった人である。心からのご冥福をお祈りする。
社団法人日本精神保健福祉士協会 名誉会長
聖学院大学大学院 教授
柏 木 昭