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東日本大震災復興支援委員会メッセージ

東日本大震災復興支援委員会はこれからも活動を続けてまいります
〜ソーシャルワーカーとしての矜持を胸に〜

 東日本大震災復興支援委員会 助言者 小関 清之 (山形・秋野病院)

 目の前に広がる被災のあまりの甚大さに茫然として失った言葉を、5年三ヶ月余たった今もなお、私は、探しあぐねています。
 全国大会での物販の店頭に立ちながら「多くの失われていくものを見ていることしかできなかったあの日の記憶。ふつうの暮らしが失われたその日から少しでも早く、通う方々の利用を再開できるよう無我夢中で過ごしました」と菅野好子さん。「自宅を失った人は?仕事を失った人は?大切な人を失った人は今、どんな思いでいるのでしょう?私は未だに上手く語ることができません」と語る今泉英博さん。深い傷を負いながらも生きることに懸命な人たちや被災した事業所等への支援のために汗する大船渡・陸前高田の仲間に対してはたして出来ること、途方も無い問いを自らに課すばかりです。2013年の3月に訪ねた時の、交わした握手の温もりは忘れません。 

 瓦礫が撤去された後に剥き出しになったのは、家屋の土台だけではなく貧富や生活の格差でもありました。宮城の中山智幸さんの語る「新たな環境や人に慣れていくという不安で災害公営住宅への入居を断念する障害者の方も少なくない」、吉野智さんからの「千葉で起きたこともまた東北3県と同じだった」という報告に、血縁・地縁・社縁といった様々の「縁」を剥がされた人たちに突きつけられたコミュニティの再生と創造という課題の大きさを思い知らされています。

 原発事故によって故郷を奪われ、これからの数十年を難民として生きていかねばならない方々は未だ約16万人(2016年5月27日現在)と報道され、同時に、哀しい混乱の中で福島に残ることを決断せざるをえなかった人たちもまた、見えない不安の中に置き去りにされるという状況が続いています。「避難者宅訪問を担う支援団体連絡会に参画」と報告される神奈川の三瓶芙美さん、「訪問支援や原発事故の損害賠償などの法的支援も」と語られる群馬の小渕恵造さん、福島県民の健康調査と将来にわたる健康増進について取り組む「放射線医学県民健康管理センター」の八木亜紀子さん。国策の過ちによって生きることそのものが困難となっている人たちの一人一人に寄り添い、ソーシャルワーカーとしての草の根の取り組みを続けて行くことが、きっと未来に繋がることになると信じたいと思います。

 私は、この間、副会長、復興支援本部長代行、本委員会助言者という立場でかかわらせていただきました。コミュニティが分断され崩壊しかけている「東北」が、東京からは見えてはいないのだと思いました。機会を作っては被災地を訪ね、仲間の語りに耳傾け、「東北」が置かれてきた歴史をあらためて学び直しました。私自身のアイデンティティを規程する大きなものの一つでもある「東北」について、これほど愛おしいと思ったことはかつてありませんでした。発災直後からの災害対策本部を復興支援本部へと改組する2012年には、組織をあげた取り組み姿勢を掲げて東北ブロックの各県支部長や瓦礫に覆われた地に真っ先に赴いた構成員を中心に、本部編成を行いました。2014年、常設の本委員会へと再編成する際には、被災地の最前線にある構成員や避難先での支援を担われる構成員に参画いただくこととしました。

 福島の菅野正彦さん、宮城の長谷諭さん。このお二人には、地元県協会との丁寧な協働を基盤にした「復興支縁ツアー」、被災地からの発信であると共に全国各地の構成員との相互交流を意図した「復興支援にゅうす」を始めとする様々の取り組みの、具体的な実現と継続を支える最も中心的な役割を発揮していただきました。菅野さんは一貫して「全国の皆さんに最前線で働く人達のことを知ってほしい!現地で働く人を応援してほしい!」と訴え続け、長谷さんは「現地を訪ねることで知り得た言葉や想いは今もなお自身の原動力の一つとなっている」と語ります。こうした被災地をフィールドに「歩く・見る・相まみえる・聞く・繋がる」という向き合い方が、委員会としての姿勢となっていきました。

 最後になりましたが、私は、向後も続く息の長い取り組みを担う常設の委員会へという継承の中で、その委員長に福井康江さんをご推薦させていただきました。福井さんは、発災直後から大船渡へそして今は石巻へと勇躍単身赴かれ、まさに復興支援の最前線に立たれています。行く手を阻む様々な課題に直面しながらも、困難に臆する事無く彼の地に留まり、絶えず慈母の如き笑顔を漂わせながらの「支援者支援」の姿勢が、理事会や事務局からの後ろ盾を確かなものとして下さる配慮に満ちた田村副会長との二人三脚も相まって「全国大会時の物販」や「復興支援活動への助成事業」等々の取り組みへと繋がっていきました。年度が替わってのこの後も、本委員会を牽引して下さることでしょう。

 「東北」には、きわめて多様な現実が突きつけられています。あまりにも大きく変わってしまった風景を取り戻すことは無理なのかもしれません。記憶を呼び起こしながら、地域社会を新たに創り上げていく途方もない年月を要するプロセスを生きる人たちに、この委員会は伴走してまいります。そして、この「志」を共有できる人を一人でも二人でも増やしていきたいとも思っています。新体制になった後も引き続き、全国の構成員の皆様方からご理解とご協力をお願い申し上げます。

 今、この任からは離れる私ですが、時に自身が出来ることの小ささに打ちのめされそうになりながらも、この時代に生きるソーシャルワーカーとしての矜持を胸に、目をそらさず、ずっと見つめ続け、かかわり続けたいと思っています。

 (2016年6月25日)