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東日本大震災復興支援委員会メッセージ

被災地あさひより、東北の皆さんを想っています

 

東日本大震災復興支援委員会委員
千葉県中核地域生活支援センター・旭市基幹相談支援センター海匝ネットワーク
 吉野 智

 2011年3月11日、千葉県旭市にも大津波が来襲して尊い16人の生命が失われました。わたしの所属する社会福祉法人は海岸から600m位に位置しますが、幸いにも津波は来ませんでしたが、大規模な液状化現象が発生し、施設群の被害は甚大でした。大混乱のなか目の前に起こる事象にひたすら対応していたのを思い出します。震災後1ヵ月の4月中旬には石巻市で行われた「医療必要者要援護者スクリーニングプロジェクト」に調査員として参加しました。海岸線の地に立った時、あまりの光景に絶句し、声もでないまま涙が溢れたのを今でもよく思い出します。電力は消失していない石巻駅周辺のお宅を順次回っている時、ある高齢者夫婦の方とお話ししたところ、ニュースで千葉県旭市の被害のことを知っておられました。わたしが旭市から来ていますと言ったことで「お兄さん、旭市が大変な時に来てくれたんか。ありがとう。でもお兄さんは旭市で頑張ってな」と強い口調で言われた時、何か自分の中で決意めいたものが生まれました。

 石巻市より旭市にもどり、様々な支援事業の情報を集め県や市にも問い合わせをしました。あの石巻市の老夫婦に背中を押され、旭市のために出来ることを必死に探していたんだと思います。旭市では5月に200戸の仮設住宅が2か所に分かれて設置されましたが、県の事業として生活支援を展開するアドバイザーの拠点を仮設住宅の集会所に、日中は常駐として作りました。

 それから4年間。泣いたり笑ったり怒ったり。家族や家を失ってしまった方たちとたくさんのお話しをしました。いろんなことがありました。3回のお正月を経て、旭市の仮設住宅は平成26年5月にその役割を終えました。現在、復興住宅でもいろんなことが起きますが、それでも毎日少しずつ、4年前からは進んでいるのを実感しています。

 東北被災地の被害規模は旭市と比べるとあまりに途方もなく、これからの見通しもまだまだ立たない状況なのだと思います。しかし、旭市の被災された方たちへの関わりは、いつも東北地方の被災された方たちのことを想いながら行っていました。わたしは東北の人たちのために何も出来ていないけれど、旭市の人たちの笑顔の向こうに東北の人たちの笑顔をいつも思い描いていました。何の根拠もないのだけれど、自分たちが一歩ずつ進んでいくのと同じように、東北の皆さんも一歩ずつ進んでいるのではないかと信じています。

 これからも東北の被災地を想い、旭市は毎日一歩ずつ進んでいきます。共に進んでいきましょう。