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東日本大震災復興支援委員会メッセージ

おかげさまでの岩手ツアー

 

東日本大震災復興支援委員会委員 菅野 好子

 今年も4月を迎え、新しい出会いと時間をお過ごしの方がいらっしゃることと存じます。
 わたくしの住む陸前高田市では、桜の花が街に彩りをあたえてくれる季節となりました。県立高校が震災後4年目の春に新校舎が完成し、この4月から新たに学びの場として生徒が通うことができました。桜の花とその高校生たちの初々しい制服姿は5年ぶりに清清しい気持ちのする朝の時間となっています。

 2011年3月から4年がすぎました。一言ではいい切りたくない人それぞれの想いがあります。混乱の中でも目の前にいる人たちを守るための道を探し、多くの失われていくものを見ていることしかできなかったあの日の記憶が残ります。いつものふつうの暮らしが目の前で失われました。避難した場所での雪もちらついてきた空の下、老人保健施設のカーテンや毛布で寒さをしのいだ時間、一人だけで膝をかかえて座っているジャージ姿の女子高校生、暗く広い体育館でラジオを聴きながら過ごした夜、ふとした瞬間に記憶がよみがえります。その日から、そこに通う方々が少しでも早く、利用再開ができるよう、被災した職場の復旧に無我夢中で過ごしました。
 当時勤務をしていた通所事業所が被災してから、通所者の方には可能な限り家族と再会していただき、初めて自身の家族との時間を過ごしていた日、協会の理事の方から電話をいただきました。突然のことでの驚きと、だれかとつながっているという嬉しい気持ちがわいてきました。仕事や所属先があることで誰かとつながっていること、自分の居場所があることを有難く、心強く感じています。

 津波で道路が寸断され一時は陸の孤島になっていた当時、2人の郵便局員の方がバイクで郵便物と一緒に子どもにお菓子を届けてくださいました。今思えば当たり前に思うことを、失って気づきました。私の祖母は、「あの鍋があれば…」、「流されなければ…」と、いまでも言葉に出ます。高齢の祖母にとって、日常が失われたことは私の感じ方とは大きな開きがあるのではないかと思えます。それぞれの日常、新しいまちづくりのためには、これからも時間がかかります。
 陸前高田市の現状では、津波で被災した土地を離れて、高台移転の土地が造成完了し、住む家の建築着工は、最も先の予定では平成30年半ば以降となっております。また、長引く先の見えないまちづくりに、人口流失がとまりません。子どもたちが、将来の夢に地元に戻って陸前高田のために役に立ちたいと語ってくれます。彼ら彼女らが、このまちで暮らして良かったと感じるような、その力を活かせる場づくりに1つでも成ればと思います。

 震災直後の活動に専念できることは、家族や親戚、いつものおたがいさまの地域とのつながりのおかげです。私がこの委員会で活動するきっかけも皆さまから頂いたご縁のおかげさまです。人との出会いは人に与えるものが大きいこと、震災を経て深く学びました。
 復興支縁ツアーin岩手でご来訪いただく皆さま、いまの陸前高田、大船渡で楽しい時間を過ごしていただけるよう、心をこめてお待ちしております。 
 結びに、これまでの4年間に頂きました協会構成員の皆さまからのたくさんのご支縁に心から感謝を申し上げます。本当にありがとうございます。