<2023/04/14>
メディア連携委員 正木 英恵(東京都支部、在シンガポール)
「SNSとメンタルヘルス」をテーマにした協会構成員向けセミナーが2023年3月26日(日)夜、Zoomを利用したオンラインで開催されました。メディア連携委員会が企画・運営する3回目のセミナーで、約30人が参加しました。
講師は、渋井哲也さん。フリーライター、ノンフィクション作家として、インターネットを舞台にした事件や、子ども・若者のコミュニケーションなどについて、取材・執筆を重ねてきた方です(中央大学の非常勤講師も務めています)。
「生きづらさ」とネット空間
渋井さんは冒頭で、座間9人殺害事件(2017年)を紹介しました。家出、援助交際、自殺願望、良い子でいることに疲れた……。そんな状況からSNSで誘われた若者たちが、次々に命を奪われました。この事件を機に、「生きづらさ」という言葉が新聞で取り上げられる頻度が上がったそうです。
「生きづらさ」を持つ人にとって、インターネットという場は、どういう意味を持つのでしょうか。
現代社会で「生きづらさ」を抱える人たちの多くは、匿名性のあるネット空間が、リアルな世界よりも心地よいと感じている、と渋井さんは説明しました。
ネット空間では、自分のことを語るうちに、他者との関係や新たなコミュニティーが急速に形成されます。リアルでは出会えない、同じ趣味や価値観を持った人たちと交流できるのが大きなメリットです。
一方で、関係が崩壊するのも簡単で、リアルでは経験しないような激しい誹謗中傷を受けることがあります。プライバシー侵害、SNS依存、フェイクニュースといった問題も解決されていません。
共感的コミュニケーションと、競争的(排他的)コミュニケーションが同時に行われるネット空間。そこもまた、リアルな世界と同様に、生きづらさを生む場になっているというのです。
「社会的感染」への対処
渋井さんはもともと、生きづらさ系の若者と、精神科のユーザーを分けて考えていました。しかし2000年ごろから、生きづらさ系の若者が精神科サービスにもつながる傾向が強まったそうです。
ネット空間で親密性が高まると、「他の仲間がやっているから」という理由で、オーバードーズ(過量服薬)や、リストカットに至る人もみられます。
この現象を渋井さんは、「社会的感染」と表現しました。
安心して「生きづらさ」を語れる場で、誰かとつながりたい。そのニーズは特別なものではないでしょう。ところが、「死にたい」「消えたい」という衝動的なつぶやきが、SNSを介して共感的に強化されていく中で、ネット心中や殺人事件に発展するケースも、現実に起こっています。
生命に脅威をもたらす事態を防ぐために、どうしたらよいのか。渋井さんは「大切にされていると感じる現実的な環境作り」を強調し、メンタルヘルス教育、自殺予防教育も重要だと語りました。
具体的な接し方として、「周囲から見た出来事の大小で、本人が受けるダメージを評価しない」「ネットいじめで生じた後遺症のケア」などを示しました。
支援者っぽくならない
ソーシャルワーカーに期待することは何か。そう問われて、渋井さんは2点を挙げました。
1点目は、「共に遊びながら、答えを一緒に考えていくスタンス」。
生きづらさを持つ子どもや若者から見ると、どこかにつなごうとしたり(解決志向的)、何かを禁止したり(審判的)といった「支援者っぽい」ふるまいをする大人は、信頼できないということでした。
この点に関連して、ネット上での自殺対策に関わる構成員から、切実な体験が語られました。迷って、悩んで、傷つきながら、相談者にも自分自身にも向き合う。相手が拒否的な態度を取っても、常に関心を持ち続けるんだ、相手がどれぐらい関心を持って、何をほしがっているか、想像しながらかかわるんだ――。匿名性の高い場での支援の難しさが、伝わってきました。
良い報道へのフィードバック
もう1点、渋井さんが挙げたのは、良い記事・報道への評価です。
「記事を書いて批判を受けることはあるけれど、『こういう記事を書いてほしい』『○○について書いてくれた記事が良かった』というフィードバックは受けないことが多い。福祉関係者がグッド事例を伝え合うように、グッド記事や扱ってほしいことがあれば、(報道側にも)どんどん教えてほしい」
渋井さんは、そう呼びかけました。これは、私たちがキャリアの長さを問わず、今日から、個人でも始められることでしょう。
リアルであれ、ネット上であれ、クライエントとの出会いを通して、私たちは自らの感受性、人間性を磨くことができます。専門職としての技術やノウハウは実務上、当然に求められますが、それ以前に気負いすぎず、「遊びながら」共にいること――そのスタンスを心がけたいと感じたセミナーでした。
以上