<2020/09/07>
本年8月21日に公表された「黒い雨」訴訟判決の控訴に対する日本ソーシャルワーカー連盟の声明を機に、構成員の吉野比呂子さんが本協会へ寄稿という形で思いを語ってくださいました。
被爆・終戦から75年を迎え、関係当事者が高齢化し若い世代には実感の持てない昔話として風化していくことが懸念されます。
戦争の痛みを抱えて生きる方に寄り添い、薄れさせてはいけない記憶の伝承と世代を超えて「今」に光を当てながら平和の在り方を語り合うために、ワークショップを立ち上げて粛々と実践に取り組む仲間が身近にいることを、多くの構成員の皆さまにもお伝えしたく、ご本人の了解を得て以下に掲載いたします。
全国には吉野さんに共感し、あるいは志を同じくする方々も多くいらっしゃることと思います。傍観者ではなく、「連鎖をつなげる者としての自分」を考えるきっかけとして活かしていただければ幸いです。
公益社団法人日本精神保健福祉士協会 理事会
「黒い雨」訴訟に寄せて
私は(公社)日本精神保健福祉士協会東京都支部の構成員です。別の紹介をすると、被爆者二世です。広島、長崎に原爆投下されて今年で75年になります。私の母は東京生まれ育ちの17歳の女学生でした。東京大空襲以降強まる戦火から逃れる手段として小学生の妹を連れて広島へ縁故疎開しました。初めての広島、そして原爆投下後救護活動に従事したため、被爆体験をし、75年が経過しました。
戦後60年の時より私自身、何かしなければと思いつつ、この戦争体験を母から引き継ぐべき方法としてワークショップを行うことを考えました。本協会名誉会長の柏木昭先生が講演で海軍兵学校にいたことを話されていて、それもきっかけとなりました。母の姉の夫は、江田島の海軍兵学校の将校でした。ここに柏木先生が生徒でおられたわけで、姉のところに遊びに行っていた母とすれ違ったことがあるかもしれないと空想しました。
このようなことを契機に始めた「戦争を語り継ぐワークショップ〜広島からの手紙〜」では、当時広島の母から友人にあてた手紙を朗読し、その後グループワークを行い、今ここでの思いを話し合ってきました。必ず8月6日前後にこの形で語り継ぐ活動を始めて昨年で5年目になります。今年はコロナの影響により中止としました。戦争の語りから様々な災害等の被災体験、支援体験また、興味関心のある方々が参加しています。母本人の参加もありました。
その他に、日本集団精神療法学会第36回大会の自主ワークショップにおいて、「広島原爆とトラウマ〜身体に刻まれた記憶〜『語り継ぐ』とはどういうことなのかー」を企画しました。私自身のやり方で戦争や原爆について語り継ぐ活動を粛々と続けています。
私が子供の頃は常に戦争や原爆が身近にありました。これだけの年数がたつと戦争や原爆は歴史の一部として、現実味は失われていきます。しかし、戦争や原爆の被害を被った方にとってはこの時間はあまりにも辛く厳しい時間といえます。
まして今回の「黒い雨」の裁判では、一旦勝訴した判決に対して広島市や広島県から控訴されることは、疾患以上に被爆体験者を精神的に傷つけ追い込む現実であると想像します。わかってもらえないということがどんなにつらいことか、国の意向を受けて広島県や市が控訴するということが理解できない気持ちです。広島、長崎両式典で、安倍首相は「被爆者に寄り添い」と必ず付け加えて話されてきましたが、単なるリップサービスに終わらせることなく、行動していただきたいと切に願う所存です。
2020年8月25日
吉野比呂子