お知らせ

<2013/01/07>

【追悼の辞】谷中輝雄さんを偲ぶ

 昨年暮れも押し迫った12月29日、谷中輝雄さんが亡くなられました。

 その報に最初接したとき、思わず「巨星墜つ」という言葉が浮かんできました。私ごときが追悼の辞を述べるのも申し訳ないぐらいの偉大な先達でした。

故谷中輝雄(やなかてるお)さん

  まだ精神障害者という存在自体が福祉法やサービスから排除されていた時代に、勤務されていた精神病院を飛び出し、精神障害者の地域生活を支える活動を展開、その拠点である「やどかりの里」の実践は多くのPSWの憧れであり、範となりました。常に財政的な危機との戦いであったと記憶していますが、その実践が切り開いたものが精神保健法の改正であり精神障害者社会復帰施設の設置等の規定であり、今の地域生活支援システムにつながっているのだと思います。

 本協会では、1977(昭和52)年から1981(昭和56)年までの2期4年、理事長を務めていただきました。この時期はY問題をめぐる様々な混乱から協会自体が機能停止状態から再生に向けて大きな転換期でありました。私自身もこの頃浅香山病院に就職し、1978(昭和53)年3月、1980(昭和55)年1月と大阪で日本精神医学ソーシャル・ワーカー協会全国大会が開催されたため、谷中さんの悪戦苦闘の時代を多少ながら共有できる幸いに預かりました。「Y問題から提起されたことを通して日本精神保健福祉士協会の基盤をつくってきたことは、協会としての財産である」とは谷中さん自身の言葉でもありますが、Y問題からの提起を真摯に受け止め、PSWの立場性、視点を改めて問い直し、協会を正常化に導いた最大の功労者が谷中さんであることは万人の認めるところではないでしょうか。

 個人的な思い出ですが、理事長職を離れられた後もお会いすると、「(わたしが)書いたものを読んでますよ」と優しい笑顔と共によく励ましていただきました。これまでいただいた御恩とご縁に感謝し、ご冥福を心からお祈りいたします。ありがとうございました。

2013年1月7日

社団法人日本精神保健福祉士協会
会長 柏木 一惠


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